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弱さの中で支えてくださる 神さまの愛

スミルナ教会(奈良市) 正井隆晶

恵みの源泉

わたしは、現在盲学校で教員をしており、目の不自由な子どもたちに美術を教えたり、白い杖を使って上手に歩行する方法などを教えたりしています。今は、職場にも恵まれ、結婚し二人の子どもにも恵まれていますが、わたしは、人生の挫折を経験した一人です。
わたしは高1の時、友人に誘われ、教会に通うようになりました。そしてその夏、聖書に書いてあるとおり、イエス・キリストを真の神、救い主と信じ、神様の名、「神は愛なり」を呼んだ時、神様はわたしの心に来てくださいました。今思い返すと、その時から、主イエス様はわたしの内におられ、わたしと共に歩んでいてくださったのです

うつ病に

高校、大学と受験に失敗することもなく歩んできたわたしは、就職においても教員採用試験に合格し、中学校の美術の新米教師として、それなりの夢をもって赴任しました。しかし、その夢は赴任1日目にして現実の前に崩れていきました。
わたしの赴任した学校は、大変荒れていた学校でした。1日目から担任のクラス内でいじめによる喧嘩があり、すぐ家庭訪問するようにと言われ、次の日からは、エスケープが起こり、あたふたしているうちにわたしはすっかり生徒になめられてしまい、事態は、収拾しようとすればするほど、いよいよ深刻になっていきました。
1ヶ月ほどでわたしは精神的に疲れきってしまい、学校へ行けなくなってしまいました。わたしはうつ病になってしまったのです。家では真夜中の2時になると、きまって目が覚めるということが起こりました。しかも毎日。精神科の病院にも通うように進められ、うつ状態を抑える薬を飲み、また、精神科の先生のカウンセリングも受けました。
しかし、わたしの心は暗いトンネルの中に入ってしまったようになり、明るい考えは全く浮かんでこなくなりました。半年間学校を休み、3学期は何とか復帰しましたが、中学教師という職業にすっかり自信をなくしてしまったわたしは、1年で退職。学校を去りました。退職した後も、身分のない宙ぶらりんの状態の中で希望を見いだせず、うつ状態は深刻になり、暗くなっていく一方でした。

再び歩き始める

しかし、そのような中でも教会だけは通っていました。教会はその時のわたしにとって、唯一の外部との接点でした。先生方そして信徒の皆様の励ましとあつい祈りが、わたしを教会につなぎ止め、今のわたしがあるのだと思います。そのようなわたしに、神様は、聖書の言葉を通して語りかけてくださいました。
「あなたは言うかもしれない。『主はわたしを見捨てられた。わたしの主はわたしを忘れられた、と。女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。』(イザヤ書 49・14~16)」
この時神様は、親友に語りかけるように、優しく、はっきりと力強く、この言葉を通して、わたしに語りかけてくださったのです。
その時わたしは、はっきりとわかりました。イエス様がわたしを愛していてくださったこと、心を閉ざしていた時にもわたしを愛し続け、待っていてくださったこと。わたしは、孤独に悩んでいましたが、そんな時にも、イエス様はずっとわたしの内におられ、わたしを支えていてくださったのでした。この神様の愛に触れた時、座り込んでいたわたしは再び歩き始めました。神様に支えられながら。そして、神様の愛に生かされた時、わたしは薬を飲むのを自然にやめていました。
わたしは医学を否定するつもりはありませんが、カウンセリングも抗うつ剤なども、わたしにはあまり意味がありませんでした。わたしをいやしてくださったのは、「わたしは、あなたの内に宿り、かつ歩む。恐れることはない。見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたと共に、あなたの内にいる」(コリントの信徒への手紙二 6・16、マタイによる福音書 28・20参照)と言われ、わたしの内に、生きておられる神様でした。

これからも神様と共に歩みます

あれから20年近く経ちました。その間いろいろなことがありました。これからもいろいろなことがあるでしょう。そのたびごとにわたしは、わたしの友となり、親しく語りかけてくださる神様に悩みを打ち明け、祈り、支えていただきながら人生を歩んでいきたいと思っています。「神は愛なり!」