おかえり
「おかえり」という言葉が好きです。人はだれでも帰れる場所、自分がいてもいい場所を求めています。あなたには帰る場所がありますか?
ヘミングウェイの短編
文豪ヘミングウェイの短編にスペインに暮らす父と息子の物語があります。不幸な出来事の積み重ねで、親子の関係が悪化し、とうとう二人は仲違いしてしまいます。息子は家を飛び出し、父親はその後を追いました。あてもなく息子を探す旅の果てに、やがて万策つきた父親は、マドリードの新聞の尋ね人の欄に広告を出します。息子の名前はパコ。スペインではありふれた名前でフランシスコの愛称です。
「いとしいパコへ。明日の正午、マドリードの新聞社の前で会おう。すべて赦す。愛しているよ。父より」話の結末は、最後に記します。
おかえり
聖書にも家を飛び出した息子の物語があります。イエス・キリストが譬えで語られた「放蕩息子の物語」です。自分の夢を追いかけ、家を飛び出した放蕩息子は、やがて快楽と引き換えにすべてを失い、泥まみれの生活を送るようになります。我に返った放蕩息子は、家に戻る決心をします。ここからは放蕩息子の父の物語です。
聖書は「父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した」と躍動する父の姿を描きます。当時の父親にとって「走る」という行為は沽券にかかわる行為で、タブーとされていました。それにもかかわらず、父は泥まみれになった息子を目指して走ったのです。
実にこの物語は、聖書全体が語るメッセージの要約です。自己実現のために、神に背を向けて生きる人間。そんなわたしたちのために、なりふりかまわず、十字架に駆け上り、広げられた愛の手にハグしてくださる神の愛。この譬えが「福音中の福音」と呼ばれる理由がここにあります。
聖書には書かれていませんが、父親はこう言ったに違いありません。「おかえり。よく帰ってきたね。」
あなたもパコ
新聞広告を覚えていますか?
「いとしいパコへ。明日の正午、マドリードの新聞社の前で会おう。すべて赦す。愛しているよ。父より」
翌日の正午、その新聞社の前には、何と父に赦しを求める800人の「パコ」が国中から集まっていました。
この世界には、帰る場所を求めている人が何と多いことでしょう。わたしも、あなたも、もう一人のパコなのです。さあ、わたしたちも父なる神の愛に帰りましょう。ほら、もう神が走り出しています。「神は愛なり!」