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アンネのバラを託されて
私は世界と人類のために働きます
オットー氏との出会い
牧師であったわたしの父は、長い世紀、反目しあっていたユダヤ教とキリスト教との間に、和解と相互理解による愛の橋を架けるという、困難な仕事に労しており、平和事業の一環として、しののめ合唱団を創設しました。 1971年4月、合唱団はイスラエルに行き、そのコンサート旅行中、偶然にオットー・フランクさんと出会ったのです。合唱団を代表して手紙を出すと、オットーさんより、アンネの写真集が送られてきました。以後、オットーさんとの交流を深め、彼が1980年8月19日、91歳で亡くなられるまでの9年間に、家族や教団への文章も含め、50通もの手紙をいただきました。
「世界中からわたし宛の手紙が数多く届きますが、あなたの手紙には特別なものがあり、大変ユニークです。アンネの理想と理念を最も理解したあなたに『アンネの形見のバラ』を贈ります。」身にあまる言葉と共に、1972年12月25日のクリスマスの朝、「アンネ・フランクの形見」と名付けられたバラの苗木が届いたとき、戸惑いにも似た不思議な気持ちになったことを思い出します。 バラの苗木は、京都府綾部市在住の山室隆一氏、建治氏父子によって育成され、接ぎ木されたアンネのバラは、今や平和への祈りのシンボルとして、日本全土に咲き香っています。
(文・大槻道子。聖イエス会スミルナ教会牧師。1971年しののめ合唱団としてオットー・フランク氏と出会ってから文通等による親交を深め、氏より「アンネのバラ」を託される。)